嘘八百

国擬人化っぽいものを置いてあります。「始めに」は必読。

大東亜

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俺ら韓国人や支那人が反日掲げてるホントの理由は、
先の大戦に負けてしまったからだ。
ほんとなら大東亜に勝利して、日本が俺たちのリーダーとして君臨するのを大東亜の全ての人間が望んでいたんだ。
そうすれば、俺らは韓国なんていうレッテルを貼られずに日本人として堂々と生きていけるし、
南北が分断されることも無かった。
もちろん顔を整形する必要もなくなるし、犬を食べる必要も無くなる。
似たような自動車を作らなくても良くなる。
支那の人間にしたって、満州という輝かしい国の下で、日本のように崇高な精神をもった民族になれるはずだった...
それなのに負けてしまって、理性の無い国民性のまま21世紀を迎えてしまった。
だから支那人は猿を生きたまま食べたり、胎児を不老長寿の薬と信じて食べ続けるような野蛮な国に成り下がってしまったんだ。
ほんとは韓国人も、支那人も日本に憧れて、日本人になる事を夢見ていたんだ。
それを裏切ったあんた達の責任は、はっきり言って...重いよっ!
今からでも遅くない!米帝の作った憲法なんて捨てて、強力な軍事力を持って大東亜共栄圏を作ってください!



●M・Kさんの証言 【1967年記録、当時64歳女性】

 14のときよ、うちが日本、来たのは。紡績工場、働きに来たんじゃけ、あのとき、年
ひとつ足りんのよ。15じゃいうて姫路の紡績工場、働きにはいったんじゃ。
 大けな工場でのう、朝鮮の娘、300人ぐらいおったよ。寮二つに、いっぱいじゃった。

 うちは自分の自由で、自分から望んで、ムリヤリ、日本、来たんじゃ。家出するみたい
に、来たんじゃ...。はぇ、日本、いきたいてのう、ものすごく日本ええところじゃ思うて、
いきたいんよ。日本の話、きいたら、はぇ、胸がトクン、トクン鳴るんよ。(略)

 あの時分は、日本行ってから、金もうけて帰った人らの話が、村の誰が日本いって、な
んぼ金もうけて帰ってきた、借金返して、流れた田んぼ買うたとか、牛買うた、そんな話
が、あっちでもこっちでも持ちきりじゃったよ。
 はぇ、いなかの村で、はだか足で百姓しとったもんがの、日本行って帰ってくるときは
の、西洋帽子、頭のせて、洋服きて、はぇ、皮靴(ママ)はいて、村帰ってくるじゃけえ、日
本の国、黄金ナラみたい思うたんじゃ。
 おお、日本、開明(文明開化)ナラじゃ、電気明るいし、男も女でも働いたら、働く分、
金になるんじゃ、なんぼでも金もうけでける国じゃ、そんな話、きくのよ。

 うちが、13の春じゃった。となりの村、15になる娘がおったんじゃ、これ、募集屋
来てからの、紡績工場連れていったんじゃが、この娘が働いてから、何十円か、金、送っ
てきたゆうて、はぇ、村中、えらい評判立ったんじゃ。(略)
 うちはその話きいてからの、(略)「日本の国、行かして下さい、日本の国行くんじゃ」
なんぼ、頼んで泣いても、お父さん、きかんのじゃ。

「とんでもないこと言いだしおる! 女がよその土地、出かせぎに行くのは賎民らのす
ることじゃ...」言うて、はぇ、頭っからきいてくれんのよ。...うちは、村でもの、大けな
家じゃったけえ、瓦屋根の、両班じゃったけえ、まあ、喰うに困る暮らしじゃないしのう、
なんぼ頼んでも、行かしてくれんのよ。 
 あれが、うちが14のときよ。一つ上のいとこの姉さんがの、日本行って帰ってきた人
に嫁入りしたんじゃ。それが、こんど日本いっしょに行くんじゃ言うての、挨拶しにきた
んじゃ。...うちは姉さんがうらやましゅうてのう、うちもついて行きとうて、かなわんの
よ。家の門まで見送り出たのが、はぇ、村の外までついて行ってからの、うちが泣いて、
泣いて、どこまでもついて行きおるじゃけ、「いっしょに日本行くんじゃ」言うての。そ
れでとうとう、うちのお母さん、あきらめたのよ。「よろしゅうに頼みます」包みつくって。
 それで、いとこの姉さん夫婦について馬山から釜山に出ての、釜山の旅館、ひと晩泊ま
ったんじゃ。はぇ、釜山の町も旅館も、日本行く人らでものすごかったんじゃ。
 うちは、急にこうなったんじゃけ、証明書(渡航許可証明書)がないんよ。それが、旅
館で知りおうた女の人、30ぐらいのおばさんがひとりおったんじゃ。この人の娘じゃい
うて、連絡船乗ったんよ。(略)

 三年働いたら、嫁入り支度してからの、ふとん皮やら布地、行李二つ故郷送ったら、現
金が60円残ったよ。それで故郷に帰った。
 五月じゃったか、村の人ら田植えしとる道、うちが、こう人絹の白いパラソルさしての、
水色のチョゴリ着て、こうひざ下の短いチマはいて歩くとの、革靴が鳴るんじゃ。それか
ら、はやりの大けなバスケットさげてから、村の道通ったら、はぇ、口がわるいんじゃ。
「日本がえりじゃ、日本がえりが通るよ」いうて、みんなぁ指さしてみるんよ。
 この年の秋に、おなじ村におった人のところ嫁入りして、夫婦いっしょにまた、日本き
たんじゃ。(略)

~『もうひとつのヒロシマ』 朴 壽南 1983 (「アリランのうた」制作委員会)~

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